2011年3月26日土曜日

東北太平洋側大震災

3月11日午後2時46分に発生した『東北地方太平洋側大震災』により、東北・関東の太平洋側は15メートルの大津波に襲われ各地で多大の被害がありました。友人のお姉さん一家が被害の最も大きい岩手県の陸前高田の海岸近くに住んでいて、一週間以上安否が不通。病気のだんなさんを抱えての避難ですので心配しましたが、無事避難の報にほっとしたのですが避難生活の困難さに付けても早く湯沢に避難してもらいたかったのですが、道路の寸断とガソリン不足のために、やっと23日に駆けつけることが出来、無事湯沢に避難できました。当日は北上市から大船渡途中から陸前高田ルートを行ったのですが、鮎釣りで有名な「気仙川」の河口から10キロ位上流地点まで河口から流されたひしゃげた車があり、警察官が確認していました。 陸前高田の入口付近の津波で押し流され堆積した廃材の山、11トントラックやコンクリートミキサー車などがつぶれ横転して廃材の中に埋っていました。廃材の上では消防と警察官が捜索していました。 山から市内に入る道路を入ったら、市街地がありません。完全に壊滅です。手前の建物は少しの高低差で無傷でした。   市街地の惨状です。引波に持っていかれたのでしょうか、廃材はあまりありません。 スーパーマーケットの残骸だそうです。鉄骨が曲がっていました。津波の威力の凄まじさを見せ付けられました。 船が廃材の中に。 屋根の上までごみが上がっています。ほとんど土台のコンクリートを残しているだけでしたが、かろうじて形を残している建物も内部はずたずたとのことです。 知人の家は陸前高田の岬にあり、高田湾と大船渡湾からの津波で孤立してしまい、最後に連絡のとれた広田町にあり、報道各紙が一斉に大きく記事・写真を掲載、近所の会長さんが皆無事避難のコメントをしたので、知人の無事を知りました。 知人宅。二階は被害が無い様に見えますが、ぐしゃぐしゃです。車が4台流れ着いています。 前の住宅は土台を残して無くなっています。 裏には船が一艘乗り上げて、どこかの屋根もありました。船の名前は「角屋丸」。 すぐ前には高さ4.1メートルの防潮堤がありますが、今回の津波の前には用を為しませんでした。 防潮堤の上からの被災地。 広田湾の岸壁の漁協。完全に壊滅しています。
災害に遭われました方々に、謹んで御見舞申し上げます。