山から市内に入る道路を入ったら、市街地がありません。完全に壊滅です。手前の建物は少しの高低差で無傷でした。
市街地の惨状です。引波に持っていかれたのでしょうか、廃材はあまりありません。
スーパーマーケットの残骸だそうです。鉄骨が曲がっていました。津波の威力の凄まじさを見せ付けられました。 船が廃材の中に。
屋根の上までごみが上がっています。ほとんど土台のコンクリートを残しているだけでしたが、かろうじて形を残している建物も内部はずたずたとのことです。
知人の家は陸前高田の岬にあり、高田湾と大船渡湾からの津波で孤立してしまい、最後に連絡のとれた広田町にあり、報道各紙が一斉に大きく記事・写真を掲載、近所の会長さんが皆無事避難のコメントをしたので、知人の無事を知りました。 知人宅。二階は被害が無い様に見えますが、ぐしゃぐしゃです。車が4台流れ着いています。 前の住宅は土台を残して無くなっています。
裏には船が一艘乗り上げて、どこかの屋根もありました。船の名前は「角屋丸」。 すぐ前には高さ4.1メートルの防潮堤がありますが、今回の津波の前には用を為しませんでした。
防潮堤の上からの被災地。
広田湾の岸壁の漁協。完全に壊滅しています。 災害に遭われました方々に、謹んで御見舞申し上げます。

1 件のコメント:
その節はありがとうございました、おかげさまで姉夫婦は避難先から実家の方へ帰ることができました。本当に感謝しています、まだ避難先におられるかたは通信、電気、水道以前復旧できておらず、携帯も山の上に登り運がよければ通じる不便さです、あの惨状を目の当たりにして果たして日本は立ち直れるのかと考えてしまいました。あれほどの惨劇をみても姉は昨日かかってきた電話に仮設住宅の申し込みをしているのを聞き、帰りたい気持ちと恐怖感がまだ整理ついていないのではと思いました。何事もなければ迎いに行った時のように梅が咲き水仙が咲き本当に暮らしやすい処
ですが、夢は千年続いてくれるのでしょうか。
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